ワタシってオキャマだったの!?

40代になったオキャマのイマ!を届けるブログ

ゲイの出会いの場の移り変わりについて

ワタシは昭和50年代生まれなので、諸先輩方がどーされてたか知らないけど、小説とか読む限りでは、ゲイ向けの飲み屋的なお店や、公園などのオープンスペースで出会うのが主流だったみたいね。

ネットで簡単に検索できる今と違って、ちょっと怪しげな本屋に置かれたゲイ雑誌を読んだり、誰かに聞いた噂をたよりに、そういう場所に行ったんだと思う。

ワタシの場合は、初めて2丁目に行ったのはたしか高2くらいで、深夜のテレビ番組で新宿2丁目特集をやってるのをたまたま見てしまい、興味が抑えられずに学校帰りに地図で2丁目エリアを調べて行ってみたのよね。

ギリギリ都内(多摩ナンバーエリア)に住んでたとはいえ、新宿なんてめったに行かないから、地下街で迷う迷う。さすが新宿ダンジョンと言われるだけあるよね。今だと多分目を閉じても2丁目行けちゃうけど☆

てか、昔から自意識過剰気味だったので、こんな若くて可愛い娘が夜に行ったりしたらどんな目に合うかわからないわ!ってことで、授業が午前で終わる土曜の午後に。

その前から地元の本屋でゲイ雑誌は読んでて、ある程度は知ってたけどやはり本場は違うなあって思ったわ。

当時の出会い方としては、ゲイバーなどのゲイ向けの施設や公園でという伝統的なスタイルはそのままで、あとは、雑誌の通信欄を利用した文通(身長体重などの情報と文面から判断する高度なスキルが要求される→プリクラが出まわるようになると手紙に貼れるので見た目の確認は電話より効率的に)とか、ツーショットダイヤル(ダイヤルQ2が主)などの電話回線を利用したもの(ここでも身長体重などの情報と声の感じ、誰々に似てるという極めて信用ならない自己申告で判断)とか、よく頑張ってたよね。

あ、あと伝言ダイヤルってのもあったね。ゲイワード的な数字のボックスに不特定多数のゲイが伝言を吹き込んで、気になった人向けにさらに伝言を残す、的な。

伝言ダイヤル自体は今でもあるのかなあ。たぶん緊急事態用に残されてるとは思うけど、出会いが無いってのもある意味で緊急事態だからね。先取りしてたのかもね☆

てかさー、電話でも手紙でも「容姿○、性格◎」的なことを平気で言っちゃう人とか結構いて、少しでも出会いを多くしようと必死なんだろうけど、自分でそんなこと言っちゃう時点で少なくとも性格は×だろうよと当時から思ってた。

で、1990年代後半。そのうちポケベル(が鳴らなくて)が出て、携帯電話(PHSも一瞬)が出てきて、ネットが一般に普及してからまた大きく変わったよね。

とくに実家暮らしのゲイが個人の連絡先を持つというのは非常に重要なことで、これでどんな性悪のオカマかも分からない相手に実家の番号を教えなくて済むんだもの。

で、1990年代後半から2000年頃。インターネットのゲイ専用ページの掲示版の登場。写真も載せられるとこもあれば文字だけのところもあり、個人ホームページを作ってそこから出会いを作ってる人もいた。

2005年頃になると、ミクシィなどのSNSの普及。ブログを使った出会い。

このブログを始めたのもこの頃ね。ワタシがモテ期を経験したのもこの頃(笑)

そして、2008年頃。まずはiPhone、それからスマホ全体でゲイ向けアプリの普及。Twitterや今だとインスタグラムを使った出会いなどなど。

こうやってまとめて振り返ると、どんどん便利に効率的に短時間で出会えるようになってきたわね。

特に文通なんて、投稿してから雑誌に乗るまでに2ヶ月かかるから、その間に彼氏ができてるかもだし、もうそんな気じゃなかったりすることもある。

その点いまはスゴイよね。GPSで近くのゲイとすぐに出会えるんだから。日常生活ではなかなか同志に出会えないワタシたちならではの進化?(簡単過ぎていいんだか悪いんだかw)だと思う。

ま、でも、ゲイバーとか現地に出向ける人はそこで直にコミュニケーションできるから、手っ取り早いし、これは今でも重要な出会い方だと思う。

でも現地に出たところで、周りがほっとかないタイプか積極的な人でもない限りすぐに気に入った相手と出会えるとは限らないから、なんらかの通信手段を使った出会いも必要なんだろうね。大都市じゃない人はそもそもそういう場がなかったりもするし。

てことで、現在主流となるアプリでの出会い。

台湾くんともそこで出会ったんだけど、愛すべき相手を求めたワタシの冒険はまだまだ終わらないのです。

昨日も新たに出会ってきたけど、その辺はまた今度書くわね。あと、ゲイバーも久しぶりに行ったのでそこでのことも書きます。

お楽しみに☆